AI時代の到来によって
今ある仕事の約半数がなくなる、と
言われています。
「なくなる仕事」については
諸説ありますが
中には「こ、こんな仕事まで?!」
っていうものもあり
もう何を信じていいのやら
これはあくまで僕の私見ですが
高度な専門職に限って
安全というのは大間違いです。
「そこは人間の専売特許だろ」と
言われるような専門職でも
あっさりとAIに取って替わられると
思っています。
一例として弁護士、税理士
などがそうです。
実際に日々の仕事において
法務的な判断が必要となった時、
大抵のことは解決して
しまうんですよ。
かなり込み入った質問をしても
それはもう的確な情報を返してくれます。
税理士や会計士も同様、
知識的な部分に関しては
もしかしたらAIの方が
優れているかもしれません。
では一体、高度な専門職に
何が期待されているのでしょうか。
そこはもう、あえて人間臭い
手垢のついた属人的な
問題の解決法になってくるのでは
ないでしょうか。
それはいわば互換性のない
究極のヒューマンスキル。
すなわちその人にしか
思いつかないような独自の
提案をしてくれることが
AIではなく、あえて人間に何かを
頼むことの価値のような気がします。
ここで僕の経験の話をします。
とある法要に参加したときの
ことです。
一通りの読経が終わった後に
住職は法話をしますよね。
そこら辺の人よりも徳を
積んでいるであろう住職ともなれば
心に染みる深イイ話の一つや二つは
してくれるものなんです。
ただ、そのときの住職の話は
感じるものがなっかったのですよ。
残念なことに。
住職という存在の意義というか
価値そのものについて
考えてしまいました。
住職を専門職と言っていいのかどうか
わかりませんが、僕が期待していたのは、
彼の専門的なスキル
(滞りなく法要を執り行う)ではなく、
人間としての深みや厚み
だったんですよね。
その住職は生活のため平日は
塾の講師をしていると話していました。
週末住職です。
近年のテクノロジーの進化はめざましく
人間に求められるスキルも
変わってくるでしょう。
そんなご時世だからこそ、
時代に迎合したスキルを
身に付けるのではなく
自分の中にブレない軸を持つ
人間としてのオリジナリティを確立し、
自信を持って世の中に対峙していけば
いいのではないでしょうか。